宮沢賢治の見た景色~岩手県花巻市~「イギリス海岸」

宮沢賢治の書いた童話が大好きな私。

わたしの好きな童話トップ3に入る「銀河鉄道の夜」の誕生の地へ行ってきました。

目次

川岸なのに海岸?イギリス海岸の名前の由来を紹介

イギリス海岸は、岩手県花巻市を流れる北上川の岸辺にあります。

川岸なのに海岸?

日本の岩手県にイギリス?

この不思議な名前は、宮沢賢治が付けたものです。

北上川の水が少なくなった時に現れる泥岩層が、乾いて白く見える様子をとても美しく感じたのでしょう。

イギリスのドーバー海峡の白亜の崖の様だと思い、この場所を「イギリス海岸」と呼びました。

賢治先生は、イギリスへ行ったことはありませんでしたが、豊かな想像力でこの名前をつけたのです。

イギリス海岸の構造

イギリス海岸は、川の水量が少なくなった時に川底から現れる、白い砂や石で出来ています。

その白い砂は、「石英(せきえい)」と呼ばれる鉱物。

「石英」というのは、鉱石としては、構成されている成分は水晶と同じものです。

鉱石名は石英、宝石名は水晶と覚えておくと、わかりやすいかと思います。

私が実際に見た石英は、ジャスミンライスの様なイメージでした。

石英は真っ白で、太陽の光を浴びるとキラキラと美しく輝きます。

北上川の川底から現れる泥岩層が魅せる景色は、自然が作り出した不思議で美しい場所でした。

賢治は、この風景がとても好きで、よく散歩をしながら自然の美しさを感じ取っていました。

北上川とイギリス海岸の歴史

北上川は東北最大の河川で、とても長く、岩手県を南から北へと流れています。

古くから花巻の人々にはもちろん、川沿いの多くの人たちにとってとても大切な川でした。

イギリス海岸のあたりも、長い年月をかけて川の形を変え続けてきました。

雨が多いときは水かさが増え、乾燥時期には水が減り、白い砂と石が顔をだす。

そのような変化と自然のもたらす力強さと美しさ。

この地形を作り出した特別な場所は、賢治にとっても、大切な思い出の場所でした。

大正14年に賢治の案内で、この泥岩層からたくさんのバタクルミの化石を発見します。

東北大学の教授が、そのことを報告しています。

その後、北上川に大きなダムが出来ました。

洪水が多かったことから、その被害の軽減をはかるために北上5大ダムと呼ばれるダムが

昭和16年から56年にかけて順番に作られました。

田瀬ダム、岩淵ダム、湯田ダム、四十四田ダム、御所ダムです。

完成に伴い、北上川沿いに住む人たちの生活は洪水の脅威から守られる様になりました。

水量もコントロールされ、今は豊かな水が流れています。

この川の流れの下に守られているイギリス海岸の景色を、水面に感じられる波のかたちで想像するのも、自然がもたらす変化のひとつでしょう。

イギリス海岸で生まれた「銀河鉄道の夜」と宮沢賢治の構想

花巻市で生まれた宮沢賢治は、自然を愛する作家で、たくさんのお話を残されました。

中でも、「銀河鉄道の夜」というお話はとても有名で、多くの人々に愛されています。

賢治は、このイギリス海岸で星空を見上げながらこの物語のアイディアを思いついたと言われています。

今とは違い、灯りも少ない夜。空に瞬く無数の星たちと、月明かりに照らされて輝くイギリス海岸の石英。

川の流れに映る星々とともに、この川が、宝石をちりばめたようにどれほどに輝いていたのでしょう。

夜の静かな川辺で、そんな星々がきらめく空を眺めながら、心の中で銀河を旅するような物語を創造しました。

イギリス海岸は、賢治先生にとって、夢の世界への扉を開く、大切な場所だったのです。

まとめ

宮沢賢治の見た景色~岩手県花巻市~「イギリス海岸」をしっかりと見たくて。

2024年9月に、岩手県へ着いて一番に、立ち寄りました。

自分の想像力、空想、時間軸、妄想の翼を目一杯広げて、川の流れを眺めてきました。

違う風景に変化はしていても、同じ場所に立って、同じ空を眺めるという経験は、宮沢賢治が見ていたものと

何か共通したものを感じられると思い、川の流れの下をのぞき込み、空の広さを眺めて来ました。

自分の妄想力で見えた景色に感動しました。

みなさんも、宮沢賢治が愛した、イギリス海岸へ行ってみてください。

もしかしたら、賢治先生のように素敵なアイディアが浮かんでくるかもしれませんよ!

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

コメント

コメントする

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)

目次